昨年惜しまれつつ引退した「SL銀河」。ワタシなんぞ超にわかファンだってのに歌まで作ったりと…まぁ、ハマったハマッた!!
SL銀河を通じて良い人の輪も拡がったのだけれど、その中に町屋さんという写真家がいらして、先日御来店時に御自身の作品集と個展のリーフレットをくださったのよ。それに“2月1日よりカメラのキクヤにて展示”と書かれていたので、カレンダーに⭕していたのです。
カメラのキクヤとは盛岡の本町通(ほんちょうどおり)にある老舗。創業者は松本源蔵というお方。
何故にここで松本氏のことに触れたかというと、盛岡八幡宮近くの店先に(いや個人宅だったかも?)“ご自由にどうぞ”と書かれた貼紙の下に、書籍だの陶器だのがゴチャっと置かれていて、その中に“わたしの盛岡”という本があり、その著者が松本氏で御本人のサインもある。盛岡にUターンして間もない頃だったから、古き良き時代の盛岡を知るのによいかも…と、いただいたのでございます。岩手県芸術文化協会の会長を歴任された、たいそう立派なお方だったことは後に知ることとなる。
前置きが長くなってしまったが、そのカメラのキクヤに行くにもよい機会ではないか!と、その写真展を楽しみにしていたのよね。てなワケでGO!
「こんぬつわ~」とカメラのキクヤのドアを開け写真展を観にきたことを告げると、愛想のよゐ女店員が「あら、うちではありませんよ。町屋さんの写真展はたしかに開催したことがありますが…ひょっとしたらお向かいの“ダンさん”では?」と。「大和田さん檀さんかいな (古すぎ)」とツッコミたいところを我慢していたら「お向かいのDANという喫茶店でも時折写真展をいているんですよ」と丁寧に説明してくださったのです。
「ほな行ってみますぅ」とカメラのキクヤをあとにして再び「こんぬつわ~」と今度はDANのドアを開けたワタシ。
「いらっしゃい」と、これまた愛想のよいマスターが出迎えてくれた。独りギターを弾いていたお客様が手を止める。
「う〜ん、コレコレ。これが昭和の喫茶店よっ!」思わず石油ストーブと猫の姿を探したが、どちらもその姿はにゃい。
「あの…町屋さんの写真展やってますか?」とワタシ。するとまたしても「以前やったことがあるが、今はやってない」とのお返事。しかしながら、町屋さんはよく来てくれるし、長い付き合いだと、流れるように笑顔で語るマスターに一目惚れし、着席してお珈琲を注文。
大通りでカラオケバーも経営していて、ギターが趣味とな。そこでワタシも櫻山で店をやっていること、ミュージシャンであることを語った。
サイフォンで淹れたお珈琲をいただきながら心地よいひととき。松本氏は長生きされたとのこと「ひょっとしたら、源蔵さんもここに座ったことがあるかもしれないな…」ぼんやりそんなことを思いつつお珈琲を啜りながら、ふと「そうだ!あの時の感覚にソックリだ!」と気が付いたのです。
かれこれ20年前、渋谷の店を閉めてライブハウスの真似事を始めたときのこと。赤坂やら新宿やら、色んな物件を見て、最終的に新橋で開業することにした。理由はシンプルで、その物件に「ピン」と来るものがあったから。
契約後に、そこが名だたるシャンソニエ(シャンソン専門のライブハウス)の跡地だったことを知る。「アダムス」というそのお店はとても繁盛しており、また出演歌手は実力派揃いだったと聞く。早瀬かず椰さんというマスターがまた人気者だったそうなのだが、彼の急逝によって惜しまれつつ閉店したとこのと。
当時ワタシは渋谷の店をやりながら、時折シャンソン歌手の伴奏(フルート)のお仕事をいただいては、新宿のシャンソニエに出演していた。そのシャンソン歌手ともバーでたまたま出会った関係だった。ワタシは「アダムスのマスターに呼ばれたのかな?」と勝手に思った。そして、アダムスに出演していた竹下ユキさんに歌を習い始め今に至るのでございます。
時計の針は午後5時を指している。「そろそろ店に入らなきゃ」と我に返り、お会計。
DANを出て角をまがり、大手先という通りをまっすぐ進むと、そのつきあたりにワタシが店を構えるまちの象徴である櫻山神社がある。
その日は節分。御札をいただいた。そして、アダムスの早瀬さんの御命日でもあることを思い出した。
「きっとまた何かが始まる。盛岡にはしばらくいることになりそうだな」そう思った。
ところで、町屋さんの写真展はいったいどこで開催されていたのかと申しますと、実はDANにてお珈琲を待つ間に町屋さんにメイルしたところ「オヌシの写真展はいったい何処で?」とのすっとぼけたワタシの問いに「去年の2月のことなのですが…」とのお返事(笑)。
過去と未来、あの世とこの世…人生って不思議なものだなとしみじみ思った節分の昼下がりでございました。