少し前に「折づると少女」という女声合唱曲のことについて書きましたが、その後大きな展開があったのです!
「グレイセスもりおか」という合唱団が、かつて母が在籍していた「緑が丘うたう会
」が前身であることが判り、その演奏会のパンフレットに記されていた代表のNさんに電話をかけました。
「練習見学をしたいのですが」
「申し訳ございませんが、男性は入団できません」
(そりゃそーだ、ママさんコーラスですもの)
「それは存じております。実は…」と、この団体を知るに至った経緯、そして遠い昔に母が在籍していたこと、そして今の母の状況を話すと、是非お越しくださいとのこと。
という訳で昨日訪問。練習場所は変わっていませんでしたが、1階に入っていた生協スーパーはドラッグストアになっていました。ドキドキしながら練習室のある2階に上がれば当時のまま時が止まっているかのようでした。
コロナ対策でしょうか、ドアを開放していた為、練習する声がフロアいっぱいに響いていたのですが、なかなか本格的。練習の様子も窺い知れるので、ドアの前で待機することにしました。
練習終了後Nさんが現れて、先ずは初対面の挨拶。すると二人の女性が近づいて来ました。なんでもNさんは母が覚えていた当時から在籍するSさんに、前日のうちにワタシが来ることを知らせていたそうで、更にSさんは同じく当時から在籍しておられるOさんに「市子さん(母)の息子さんが来るそうよ」と知らせてくださり、お二方は当時の写真やコンサートのパンフレットをたくさん用意して待っていたのです。
ワタシを見て「あらぁ、市子さんにそっくりだわ」と笑いながら、ロビーのテーブルにそれらを広げて見せてくれました。一枚一枚手に取り、若かった頃の母の姿を見て、母には母の人生があったのだなと胸が熱くなり、何よりそのお三方の計らいに感激して思わず落涙。「スミマセン」と涙を拭って顔を上げると、SさんとOさんのまるで我が子を見るような優しい眼差しにまた涙。
なんと、大切にしていただろう写真の一枚をくださったのですが、帰宅してゆっくり見てみると見覚えのあるお顔が幾つも…きっとワタシの家に遊びにいらしてたのでしょう。同級生のお母様かもしれません。
楽譜が見つかったのも奇跡!
この団体を知ったのも奇跡!
いずれも友人を介してのこと、本当に有難いことです。母を知る団員が今なお在籍していたのもまた奇跡!母に聞かせたいとお願いして、SさんとOさんの声のメッセージも録音。来月また仙台に出向き母と会うのですが、お陰様で最高の土産ができました。
そうそう「母がこの曲をよく覚えているのですが…」と「折づると少女」の楽譜を見せたのですが、残念ながら歌った記憶はないとお二方。聞けば、なんでも緑が丘うたう会にはさらに前身があり、我が母校緑が丘小学校のPTAコーラスがそれで、その頃に取り上げたのではないか?とのことでした。そうなると「折づると少女」を母が歌っていたのは45年くらい前のことになります。
Oさんはピアノを嗜むらしく、早速弾いてみたいとおっしゃるので、楽譜はOさんに差し上げました。
もしかすると、45年の時を経てグレイセスもりおかが「折づると少女」を歌う日が来るかもしれません。