孤独なオッサンの旅日記 “ワタシは忘れない、2024年のゴールデンウィークを!” その① 38年後に明かされた事実(前編)

盛岡市東緑が丘。 
ワタシが小学校入学から高校卒業まで住んでたところ。両親と姉とワタシのごく平凡な四人家族が暮したその場所はワタシの“ふるさと”
5月3日に久々に訪ねてみた。というのは今もその家の隣に遠い親戚夫妻が住んでいる。
ワタシの両親は岩手出身でないので、Uターンしたものの既に岩手には親兄弟はおらず、気楽なモンダミン…と思っていたし、その親戚と関わるつもりはなかったのよね。なにしろ30年以上会ってもいないのだから。
駄菓子菓子、ある日その御主人が燈門に突然来店したもんだからビックリドンキー!!
ラヂオを聴いていたそうなのよ。地元紙のささやかなワタシのコラムも読んでいたらしい。そして、その後ライブにも何度も足を運んでくださった。
ある時ワタシは父のことを尋ねた。38年前に行方不明になり、山中で見つかった時のことを…。そしたら、なんとその御主人が父の遺体の確認にあたったことがわかったのよ。
ワタシはただただ「ありがとうございました」と言うのみで、その時はそれ以上の情報は求めなかった。他にお客様もいらしたし。
駄菓子菓子、父はいったいどこで最期を遂げたのかやはり気になり、また改めて御礼にも伺いたく、住んでいた家は今どうなっているかを見がてら、その親戚宅を訪ねることにした。


アネックスカワトク前(盛岡の老舗百貨店)が最寄りのバス停だが、当時はドミニカン修道院が建っていた。面影はなくなっていたが、奥州街道の松並木と一里塚だけは残っていた。


バスを降り、学生時代の通学路をてくてく…おお、当時お世話になっていた理髪店がまだある。2代目?いや、3代目かもしれんなぁ…そして、いよいよ“ふるさと”へ!
建替えられたことは知っていたが小屋はそのままで、父が植えたヒバの垣根が少し残る。

ああ、芝桜のあたりが勉強部屋だったな(あまりしなかったけど笑)と、ちょいと立ち止まっては懐かしんでかーらーのー!お隣さん。 
姿勢を正してポンピ~ン♪

投稿者: ITOTOMON

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