一昨年の元日にリリースした2ndアルバム「FURUSATO」は、実は歌い込みが足りないまま収録日を迎えてしまい、音楽的なツメが甘かった。
言い訳に過ぎぬが、制作を急ぐ理由があったのだ。
ジャケットのデザインを依頼したおおとちひろさん(以下ちーちゃん)が重い病に冒されたと知ったから。
ちーちゃんは確かふたつ歳下。出会いは市民吹奏楽団の渋谷の練習場。ちーちゃんはクラリネット吹き。互いに二十代で、私はまだサラリーマンだったから、ずいぶん昔のことだ。
入団して間もない頃、練習後の飲み会で話しかけてくれた。私が失業しスナックでアルバイトしていた時も店に来てくれたし、渋谷に自分の店を開業してからは手伝ってもくれた。湘南に住んでいたから、終電を逃してはよく私の部屋に泊まっていた。勿論男女の関係などない。
或る日、ちーちゃんからボイスメールが届いた。ステージ4の肺がんだと・・・今思えばボイスメールというのもちーちゃんらしい。
人は必要とされることが生き甲斐。これは仕事の依頼をするのが良いだろうと考えた。
パソコンでの描画の作業が身体に負担でないか確認し、正式に依頼。
実は、ちーちゃんはレコード会社のデザイン部に所属していたこともあれば、子供向けの「タリタリ」という英語教本のイラストを担当するプロのウェブデザイナーだったのだ。

先ずはジャケット。私の顔をポップアート風にしようと素材提供。

店で撮った写真が翌日にコレに。

「流石はちーちゃんやな」
「当たり前やないの!」
ちーちゃんは兵庫県の生まれで、普段は標準語を使うが、私と話す時は関西弁。大阪暮らしも長いとはいえ、私の関西弁などエセなのだが。
そうそう、ちーちゃんの出身高校はお世話になっているピアニストの吉田幸生さんの家からほど近いことが後に判明。元から縁があったようだ。
作業も終盤。歌詞カードの作成に入る。余白があるからと、花のイラストを添えてくれた。

そして、無事にリリース。
音楽的には満足な出来とは言えないものの、デザインは好評で、完成したアルバムを真っ先にちーちゃんに贈ると、とても喜んでいた。

それから抗がん剤治療が始まり、ウィッグを着けて楽団の練習に行っては「バレていないみたい」とメールを送ってきたりした。最後の最後まで気丈にふるまい、そして音楽を愛していた。
残念なことに、徐々に体調が悪化。緩和ケア専門の病院に転院。
ひょっとしたらもう無理かもしれないと思いつつ、「次はこんなアルバムを作るからまた頼むで」と、再び仕事の話を持ち掛けたのが最後の会話となった。

(↑最後に会った日。互いにスパイス系カレーが好きだった)
昨年、アルバム「途」(みち)の制作に踏み切る。大学吹奏楽の後輩で、普段から名刺やリーフレット等のデザインを依頼している田中氏にジャケットのデザイン依頼をし、本来はちーちゃんに依頼する予定だったと、その経緯を説明。田中氏は是非やらせてほしいと快諾してくれた。
ちーちゃんとのやり取りは全て残していたので、それを頼りに田中氏と作業を始めた。
ちーちゃんのお陰でスムーズに進み、ジャケットデザインを終えて歌詞カードの作成に入る。
最後の「ヴィオロンとこおろぎ」という曲の歌詞の下に余白があり、こおろぎのイラストを描いてくれないかと依頼。ちーちゃんがこんなイラストを描いてくれたと、テイストの参考にその花の画像を見せたところ、こんな感じはどうかと、その花に並んでヴァイオリンを弾くこおろぎの画像が送られてきた。

見た瞬間、落涙。
最後の最後でちーちゃんとの合作となったワケだ。田中氏も良い仕事をしてくれたものだ。
それにしてもちーちゃんったら、シャレ乙な悪戯を仕掛けたものだわ。( “シャレ乙”とは、よくちーちゃんが口にしていた言葉)
「ほれ、見てみい!」
ちーちゃんの高笑いが聴こえるようだ。
うん、アンタは最高!!

