母校関西大学のOB会東北支部、その名も“関西大学東北経済人クラブ”の互礼会にて演奏依頼をいただいた。ワタシにとって拷問のような午前入り。今や新幹線“はやぶさ”で、盛岡→仙台は40分をきったのよ!ほんと、助かるわー。ホームで買ったお珈琲をちびちびやってるうちに着いちゃった。 即会場入りしas soon asでリハして開宴。お料理をつまむ間もなく余興の時間。
出番を無事に終えて懇談、そして高らかに“逍遥歌”を肩を組み輪になって唱和し、終宴。
それにしても、関西人は話上手いなぁ〜。こういう会のスピーチは長いだけで、誰も聴いていないことが多いが、校友会会長はじめ関西からの来賓のスピーチに気が付けば聴き入ってたわ。
さて、持参したCDは、MCの方の巧みなティーアップの効果で売れに売れたのでございます。しかしながら、ちょいと残っているのをチラッと見た先輩のひとりが「おーいまだあるで!だれか欲しいやつおらんか?」その後で「残ったら全部買うたるわ」と男前!
その先輩ったら、抽選で掃除機をお当てになったのだけど「一緒に送っといてな」と、ポンとワタシの肩を叩いて笑顔で颯爽とお帰りに。たくも〜、関西人にはかなんわぁ(笑)。
てなワケで、掃除機抱えて二次会、三次会とその夜も楽しく更けたのでございました。
校友の皆様、大変お世話になりました。ありがとうございました!
そそ!互礼会の締めの挨拶がまた沁みたのよ。「こうして我々が出会えたのも、それぞれの親が “よし、関大行ってこい” と背中を押し、学費を払い…今日は改めて親に感謝する日にしよう」と。翌日曜(昨日)は、今年初めて母に会いに行く日だったもんでね。
何だかこの時、この束の間の仙台滞在がすごーく意味のあるものになるんじゃないかと思った。
当たり!!
翌朝、先ずはホテル近くのコンビニで掃除機を送る手配をし(笑)、しばし地下鉄に揺られ母の待つ施設へ。
そして、車椅子ごと乗れる介護タクシーにて移動し、外食。 前夜のその言葉を思い出し、こうして食事をしながら語れるのもあとどれくれいだろうと、ますます小さくなった母の姿をしっかり見つめたのでございました。
さて、その後即盛岡へ戻る予定だったのだが、大規模修繕の為しばらく閉館するという“フォーラス”というファッションビルの前で開催されるライブイベントに友川カズキ氏が出演すると知る。
友川氏のことは秋田出身で「夜へ急ぐ人」を、ちあきなおみさんに提供したということくらいしか知らなかったが、生歌を是非とも聴きたく、新幹線を遅い時間に変更。
ワタシですら(笑)ちょいと気後れする程らぶり〜♡なカフェで時間を潰してから会場へ。
友川氏は画家でもあり、わずかではあったが展示もされていた。ライブへの期待が高まる力のある絵だった。
ライブが始まる。MCは見事な秋田弁。故・大島渚氏が友川氏に惚れ込み「戦場のメリークリスマス」に出演依頼するも、秋田弁は直せぬ!という理由で断ったそうな。(代わりにその役は坂本龍一氏が務めたそう)
ワタシは前日の互礼会にて久方ぶりに関西弁にまみれながら、遠い昔、多くの東北人が訛りを恥ずかしがる一方で、どこへ行こうが関西弁を貫く関西人を羨ましく思っていた頃を思い出していた(厚かましく思ったこともある・笑)。
友川氏のそれはウケを狙ったものでもなく、自然で、もはや芸術だった。
♫冬は莫迦くしぇなぁ 寒いばしで莫迦くしぇなぁ
春早ぐ来てみろ! 春早ぐ来てみろ!
このまま黙っては居ねがらな
この「冬は莫迦くへなぁ」という歌に涙が止まらない…
冬はつまらない 寒いだけでつまらない
春よ早く来てみろ!春よ早く来てみろ!
このまま黙ってはいられないぞ
この時の仙台はみぞれが降り、アーケード街とはいえかなり寒かった。74歳には堪えただろう。1時間以上の演奏で手がかじかみ、アンコールの途中で「ごめん、無理だ」と演奏をやめたが、万雷の拍手に包まれ微笑んでいた。良いものを見させてもらったなぁ。
CDを購入し、サインをいただき、握手…友川氏の手はほんとに冷たくなっていた。
さぁ〜て帰りましょうかねぇ。満席の東北新幹線に乗り、盛岡に戻れば大雪。春の湿った雪がスーツケースのタイヤに詰まってうまく進まないのが何故だか嬉しかった。