漢字だらけの演奏会(笑)

9月15日、大阪・大東市のサーティーホールにて、関西大学応援団吹奏楽部創部70周年記念演奏会という漢字だらけの演奏会が盛大に開催されました!!

(演奏会のタイトルも長いが話も長い)

さて、前日、現役の練習場にてリハ。

♫そつぎょおしてーからー もお… (数えられへんわ) キャンパス内にスタバがあったりと・・・母校もシャレオツになってた。

 
 
学食より頻繁に通った王将
 
ここだけは当時のまんま
 
 
 
 
 
現役の部室にお邪魔虫(老害注意報発令・笑)
 
 
 
 
 
樹木伐採中
奥に見えるコンクリの辺りが当時の部室だった
この樹の下で笛っこ吹いたこともあったべな…とノスタルジーに浸る
 
 
 
さて、いよいよ当日!!
 
現役のリハ
 
 
フルート女子たちと
 
 
リハ終わりで全員集合!舞台の床が抜けそう(笑)
 
そそ!
黒上下+蝶タイでとのことでネットで探すと
送料込みで330円てのが
へー!こんなに安いのねと購入したら・・・
百均に売ってた
 
 
裏方さんとの写真も貼っとこ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
実は70周年は出る気Nothingだったのよね。
50、60と出たし、若いOBたちに任せたいし、岩手から度々練習に行くのも大変だし、台風シーズンとあって飛行機の欠航も心配。
駄菓子菓子、ワタシがほんのちょこっと今回の客演指揮者の宮川彬良さんと面識があると知ったOB会長から「いとーさんには絶対出てもらいますからねっ」と直々に…てなワケで出演を決めたのでございます。
 
さて、面識とは?
約30年前に渋谷に小さなスナックを開業した時のスタッフが後に宮川彬良さんの付き人になったのよ。そして、彬良さんのお父様であられる泰(ひろし)さんの葬儀の楽隊に、そのコネで入れていただいたのでございます。
「出棺は“ヤマト”で」が遺言だったのだそう。
テレビで観たことのある大物がズラリと参列する中、喪主を務める彬良さんの指揮でヤマトを吹かせていただいてから17年経った昨年、彬良さん率いるオオサカシオンウィンドオーケストラの盛岡公演が決まり、なんと母校盛岡三高吹奏楽部とのコラボがあると知る。
「これは行かねば!」と、今でも付き合いの続くその渋谷時代のスタッフに連絡し、楽屋見舞いの許可をいただく。
 
「お会いしたことはありましたか?」と少しキョトンとしたお顔で彬良さん。
「はい、お父様の葬儀の際にヤマトを吹かせていただきました」とワタシ。
すると笑顔で「ありがとうございました」と彬良さん。
そして先日、またしても母校(今度は大学)と縁が結ばれた彬良さんと再会を果たせたのでございます。人生は出逢いによって作られるんだなぁ。
 
 
 
 
 
 
 
最後に・・・
 
ご覧くださいませ!
こちらは関大吹奏楽部のOB名簿の1頁でございます。
 
テキストの画像のようです
 
ワタシの母は三度結婚したが、ワタシは初婚の相手との子。父と死別後に再婚したのが渡辺という男。ワタシは成人していたので渡辺家の人間にはならず。
駄菓子菓子、養子縁組も考えていたし、転職したタイミングだったので社内では渡辺を名乗ることにした。
 
とのろか間もなく離婚。義父のDVが原因だと言っていたが、なんでも激昂した母がポットで殴り、流血騒ぎになったらしいのよねぇ。
そして、ほぼ時期を同じくして勤務先が倒産し無職となったワタシは、そんな母に何もしてやれないどころか、友人の住まいに居候という体たらく。いっそのこと堕ちるところまで堕ちてしまえ…渡辺を名乗っていた頃はまさしくワタシの暗黒期だった。
もはや、音楽や学生時代の友人なんて頭になかった。「関大?吹奏楽?ははーん、そんな時代もあったなぁ」とヤサグレMax!
 
その後渋谷のスナックに拾われ、1年と少し勤務していたある日のこと。オーディオ機器を扱う会社にお勤めの方の席に付き、お名刺をいただく。「あれ、ここには関大吹奏楽部の後輩のN君がいるな」ふと思い出し、その方に話してみると、なんと同じ部署にいるって言うじゃない!
そして翌日。店のドアが開くと、なーんと…そこにはN君の姿が!変わり果てた先輩に驚いたことだろうよ。