新春特別エッセイ・その①「黒い鷲」

 バルバラの名曲「黒い鷲」

 初めて聴いた時に、なんて不思議な曲なんだろう…と、ショックに近い感覚をおぼえました。15年ほど前、歌を習い始めた頃のことでした。

いずれ唄ってみたいと思いつつ、実力が伴わず長らく封印しておりました。

 8年前に盛岡にUターンし久々に見た岩手山に、やはり名峰だなと心洗われる思いでした。
 その形状から「南部片富士」と呼ばれていることは知っていましたが、「巖鷲山」(がんじゅさん)とも呼ばれていることは知りませんでした。山頂部の雪解けのカタチが羽を広げた鷲に似ているのがその由来で、農家の方々にとっては、田植えの時期を知らせる目安なのだそうです。



 小学校入学から高校卒業まで暮らした家の私の部屋から岩手山が見えたのですが、もしかしたら父は岩手山が見える場所を選んで家を建てたのではないかと今思うのです。

 当時、両親はとても不仲で口論が絶えず、まだ幼いワタシは、男性と比べ身体的な力に劣るからという理由で母の味方をしていましたが、こんな家は早く出なければと遠く大阪の大学に進学。
 でも、あんな家族、あんな父でも、こうして大学に通わせてもらっているわけだしと、徐々に赦し、感謝することができました。

  ところが、大変なことが起きてしまいました。

 私が大学三年に上がる春のこと。3月6日が父の誕生日なのですが、生まれて初めて、電話で「おめでとう」を直接伝えました。少し照れくさそうに「おお」くらいの返事をしてくれたように記憶しています。
 それが最後となりました。なんと、それから2週間後に父は自ら旅立ってしまったのです。
 その半年くらい前だったかと思いますが、出張だと言って大阪に父が来たのです。「国鉄」の大阪駅の地下街の居酒屋だったかと思いますが、最初で最後の父と息子の「サシ飲み」をしました。
 その頃には「決意」していたのかもしれません。今思えば、岩手県職員で農業土木の部署にいた父が大阪出張とは考え難く、最後に私の顔を見に来たのでしょう。



 「黒い鷲」を作詞作曲したバルバラは、父親から性的虐待を受けていたという説があるのです。「黒い鷲」は父親を意味するのではとの推察もあるくらいです。

 「巖鷲山」「父親」このキーワードから、「黒い鷲」に父の鎮魂歌として詞を付けてみようと考えたのです。
 子どもの頃やせっぽちだった私が、当時住んでいた家の窓から飛び出し、巖鷲山の山頂を目指して飛んでゆくが、到着を待たずに黒い鷲(父)は飛び去ってしまったというストーリーにしました。
 ある日、怖いくらい真っ赤な夕焼けに浮かぶ岩手山を見ていたら、謎の飛行物体を見たこともあって、その情景も含めました。

 なんの恩返しも出来ないワタシですが、今この歳になり父の孤独が解るのです。

(そのイメージに近い画像を見つけたので拝借。私が見たその空は一面緋色だったのです)


 そして、アルバム1曲目の「さくらんぼの実る頃」は、後に父と同じようにして旅立った姉の鎮魂歌でもあります。姉の出棺の時に、さくらんぼの実る頃を、姉が弾いていた電子ピアノで、何度も間違えながら弾き語りをしたのが、ワタシのシャンソンデビューでした。

 こんな身の上話を長々とアルバムの解説文に書くわけにもいかず、ごく身近な方にだけ何かの折に話そうと思っておりましたが、この度拙い文章にまとめてみました。



 還暦を故郷で迎え、このような作品を作ることができ、多くの方々に聴いていただける・・・迷いもありましたが、これが岩手に帰ってきた理由だったのだなと、ひとつ大きな使命を果たした安堵感でいっぱいです。

 

黒い鷲 (巌鷲山〜父へのオマージュ〜)  曲 バルバラ 詞 伊藤ともん

幼い頃見ていた 夢を昨夜も見た

細い腕を広げ 風をとらえ 空飛ぶ夢

ふわり舞い上がり リンゴの畑越えて 積木のように小さくなってゆく見慣れた町

夕陽が緋色に 染める西の空に

浮かぶ山のシルエット

その頂 黒い鷲

声は聴こえずとも 心に響いていた

今こそ巣立ちの時と 僕を招く黒い鷲

 

逆巻く雲の波 頬打つ氷のつぶて

閃く(いかづち)に 顔をゆがめ風を切る

遠のく意識の中 霞む瞳の先

遅い春の風と きらめいた光浴びて

鷲は飛び去った 遥か銀河の彼方・・・

 

幼い頃見ていた 夢を昨夜も見た

細い腕を広げ 風をとらえ 空飛ぶ夢

幼い頃見ていた 夢を昨夜も見た

細い腕を広げ 風をとらえ 空飛ぶ夢

細い 腕を 広げ 風を とらえ 

空飛ぶ夢  空飛ぶ夢

腕を 広げ  風を とらえ  目指す 

あの頂 黒い鷲

腕を 広げ  風を とらえ

父なる山  黒い鷲