第2章 大いなる転機

新橋燈門は好調だった。オープン景気、更に師走ということもあり、地下店舗でありながらフリーのお客様もいらっしゃる。今思えばさすがは東京都心だ。アダムス跡がどうなっているか?と気になっていた当時のお客様や出演歌手、そして従業員も訪ねてくれた。人気店だったことがそこにも表れていた。実は、ワタシが契約する前のごく僅かな期間にどなたかが入居していたらしく、その時にだいぶ改装をしたとのこと。それでも、少し残る天井の装飾などを眺めては懐かしんでいた。
歌い手ではないものの、フルート奏者としてシャンソニエに立った経験のあるワタシに、良い人が入ってくれたと喜んでくださった。嬉しくも責任を感じたが、アダムスはどんな店だったのか、早瀬さんはどんな方だったのかを聞けることが楽しみだった。
当時ワタシの店にはカラオケを置いていたので「何か唄ってごらん」と言われ、緊張しながら美空ひばりを唄った日が懐かしい。しかしながら、やはり「シャンソンは唄わないの?」と来る。フルートで伴奏しているのだから、シャンソンはそれなりに知ってはいたが、唄ってみたいと思うことはなかった。歌い手もファンも年齢層の高い世界。自分にはまだ早いとも思っていた。だが若いとはいえ40歳、唄ってみるのも悪くはない。

ふと、アダムスにはどんな歌手が出演していたのか、インターネットで調べてみた。今や有名人のクミコさんは本名の高橋久美子で出ていたし、若くしてこの世を去った村上進さん、後にお世話になることとなる荒井洸子さん・・・やはり錚々たる顔ぶれだ。アダムス時代の店内の写真、早瀬さんの写真も出てくる。そして、早瀬さんを偲ぶ関係者のブログなどにもリンクする。そこでワタシが目を留めたのは竹下ユキさんの早瀬さんを追悼するエッセイだった。会ったことのない人が亡くなったことを、会ったことのない人が書いた文章に涙したのだ。竹下さんに会ってみたいと思った。そうと決めたら早いワタシは、程なくしてメールを送った。「アダムスの跡に入った店の者です。エッセイを読み感激しました。ライブハウスの真似事を始めたので当店で唄っていただきたい」こんな感じに。
日を経ずして返信があった「私にとってひとつの時代が終わった場所であり、もう行く気がしない」つまり出演は断るとの回答なのだが、最後にこうも記してあった「伊藤さんがもしもライブのお店をお続けになるなら、会ったこともなく、生で声も聴いたことのない歌手に出演依頼をするのは今後やめるべきですよ」と。ワタシは竹下さんにアプローチして良かったと思った。ワタシはアダムスという幻想に浸り過ぎていたことに気付き、このご縁に感謝しつつも己の道を歩むのだと決意を新たにした。
そして、竹下さんの歌を聴きに行こうと、ウェブサイトでスケジュールを調べてコンサート会場に向かった。終演後ロビーで待ち「突然のメール失礼しました」と声を掛けると、「あら、来てくれたのね」と明るく返してくださった。その時、何かが降りた。「あの、歌を教えてください」と口から出てしまったのだ。恐らく真剣な眼をしていたんだろうと思う「大丈夫ですよ。詳しくはメールで」こんな流れだったかと・・・。

かくしてワタシはボーカルレッスンに通うことになった。先述のとおりフルートレッスンも受けており、従業員も雇っていたし、渋谷の店舗より家賃も高く、入居そして改装に多額の費用をかけたというのに、今思えば我ながらチャレンジャーだった。レッスン初日「先ずは声を聴かせて」と竹下先生(以降ユキさんと書かせていただく)。美空ひばりの「愛燦燦」を1コーラス唄った。カラオケで良く唄っていたし、お客様受けも良かったので選んでみたものの、残響のないレッスン室に響く我が声のショボいこと。「う〜ん、悪くはないんだけどノド声なのよね」とユキさん。そして「ともんはシャンソンに拘ることないよ。日頃お客様の前でひばりさんなんか唄って楽しませてるんでしょ?それはそれで大切にしなきゃ」とのアドバイス。読まれたなと思った。アダムスというシャンソニエの跡に入り、アダムスで唄っていた歌手に習うならば、やはりシャンソンを唄わねばと使命のように感じていたから。それでもやはりシャンソンのレパートリーも持ちたいと話すと、「それじゃ声質とかキャラクターに合うものをチョイスしながら進めていくね」と、ユキさんのレッスンは楽しくスタートした。

「さくらんぼの実る頃」は唄えるようにしたいと話した。ユキさんの生歌を初めて聴いたコンサートのアンコールだった。その日は1月17日、阪神淡路大震災が発生した日だった。その追悼の意を込めてとMCで語っていたこともよく覚えている。訳詞はなかにし礼さんで、ゴスペルアレンジで唄っているのが印象的で、ワタシもそのように唄ってみたいと話した。

それから暫くして姉が突然あの世に旅立ってしまった。自死だった。実は父もそのようにして旅立っている。姉がメンタルを病んでいることに気付きながら、結局何も出来なかったことを悔やみ、ワタシ自身もその後長らくふさぎ込んでしまった。実は、姉の出棺の時に姉が弾いていた電子ピアノで「さくらんぼの実る頃」を何度も間違えながら弾き語ったのが、ワタシのシャンソンデビューとなった。

新橋燈門の前の通り

投稿者: ITOTOMON

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